この蔵へ行けば、一見してほっとする。
こういう場所であってほしいという酒蔵のイメージをぎゅっとつめこんだような酒蔵なのだ。
石川県にある車多酒造である。あの名酒、天狗舞をつくりつづけている。
ある世代にとっては、一世を風靡した漫画にも登場したりしたから、随分馴染み深い名前でもある。だからこそ、「こうあって欲しい」と願う飲み手は勝手な思い込みやら先入観を膨らませてしまう。
だが、ここは、そんな些か風船のように弾けそうな期待を軽々と上回る。
石川県、ことに金沢は近年、新幹線の開通にともなって観光客が著しく増加した。その金沢から車をつかえば20分程度行ったところに車多酒造はある。あの金沢の喧騒が嘘のように、静かな場所である。
煙突、漆喰、瓦屋根、これぞ酒蔵
門から蔵までが遠い。わずかに見える煙突にいかにも酒蔵の風情がある。
歩を進めるうちに、ますます、酒蔵の情景は確固たるものなっていく。軒先の杉玉は新酒ができたことを静かに、しかし高らかに伝えてくれる。去年、この地方を大雪が襲った。道は寸断され出荷もままならなかった。それをのりこえて、今年の酒造りがおこなわれている。

そして導かれるまま、蔵に足を踏み入れる。
外よりもさらに屋内が寒いという不思議。これもまた酒蔵のそれである。
そして見回す。
木と煉瓦と鉄と漆喰と琺瑯。
旨い酒の絵をモザイクで描くために必要なものがそろっている。
こういうことが嬉しいのだ。

案内してくれた德田耕二さんが
「寒いでしょう」
と笑った。その笑顔が
「必要な寒さなんです」
と言ったような気がしたが、それも深読みが過ぎる、と言い切れまい。
あたたかい笑顔は、なにかを覚悟した顔でもあるのだ。
天狗舞の歴史は古い。文政年間にさかのぼる。また、天狗舞を造る車多酒造の「車多」という全国でも珍しい姓は、敷地のなかにあった小川に多くの水車を設けていたことがはじまりなのだそうだ。そして、この酒蔵は、ずっと山廃仕込みをつづけている。もはや、蔵の代名詞といってもいいほどである。
山廃仕込みとは、生酛系の仕込みの一つである。物理的にすりつぶすことをしない方法であり、本来は、山卸廃止酛の略称である。杜氏の経験がモノを言う造り方であって、繊細な造り方だから、うっかりしたら腐敗する。難しい。でも、そうしてできた酒は旨い。
薄い琥珀色。香りが高く、コクがある。ただ飲んでも旨いし、料理とあわせるときは、一つ一つ対局のようにあわせてみて、その攻防はやがて恍惚にかわる。旨い。そういう酒を天狗舞は造っている。

順に酒造りを追っていくが、どこの工程でも蔵人たちは、静かに淡々と動く。若い人が年輩の人に何かを伝える。経験も知識もその若い人がまさっているのだろうが、そのときの、伝える言葉のはしばしにほんのかすかに心遣いがある。語尾にすこしのリスペクトがある。こういう、現場には、苦味がない。そういうことが、もしかすると、仕上がる酒の旨さの根底にもあるような気がする。
製麹を完了し、美しい麹が台の上で冷やされる場面にたまたま立ち会えた。麹を峻別するために、広げた麹に蔵人はさっと石庭のように模様を描く。その模様は世界で一番旨そうな枯山水だ。なにしろ、香りが良い。麹が描く模様は、酒の香りただよう川。泳いでみたい、泳いでいたい。
江戸時代からつづくマルチタスク

「いま蔵人さんのなかに大工さんがいるんです」
案内役の德田さんが言った。どういうことなのだろうと思ったら、真新しい木製の櫂が目についた。
「なんでも作ってくれるんですよ」
そういって德田さんがポンと叩いた手摺も、古い蔵の中にあって、まだ艶が浅く木材が新しいのがわかる。昔ながらに、通年で蔵人がいるわけではない。寒い冬の間に酒造りをしているこの蔵では、多くの蔵人たちが他に仕事をもっていて、限られた期間に集まって、酒造りをする。そのなかには大工さんもいる。能登の寒い冬。雪がふれば大工仕事はできない、そういう時期に酒造りをする。そして、蔵で必要な木工作業もする。マルチタスクなんて、とっくの昔に酒蔵では実践されていたのだとあらためて思う。

全部の工程を見終わるころ、また米が蒸しあがっていた。
巨大な甑に向かって二人の男が米をすくいあげる。湯気のなかではじめは顔がよく見えなかったけど、そのうちにはっきり見えた。また年輩の人と若い人が一緒になって働いている。
垣根がない。
こういう様子も天狗の目には楽しげに見えたのであるまいか。
蔵は寒く、体は冷え切った。けれど、どこか、ほっとしていた。
蔵の外に出てみると、やはり外のほうが暖かい。雪がちらほら舞っていた。蔵の中の作業の音なのだろうが、どうにも天狗の太鼓の音に思えてならなかった。
結果、旨ければいいのが酒である。どんなやり方でもいい、旨ければ勝ち、といってもいい世界ではある。けれど、そればかりではない、と思うのが酒造りでもある。まじめな、仕事の、美しさは、数値にはできない、なにかを造りだす。
天狗舞の山廃をぐいぐいやりながら、蔵のあの光景をおもいうかべると、なにか、いろんなことが腑に落ちるのは、そういう、まじめな、仕事の、美しさのおかげ、なのだ、きっと。