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Feature 01
剣菱
灘なのである。
灘の生一本の灘なのである。

酒好きなら足を向けては眠れない場所である。
そこは、21世紀になるまでに日本酒を飲んだことがあれば誰でも知っているであろう、酒どころである。

あらためて言うと、灘五郷と呼ばれる、現在の神戸市東部から西宮市今津までの地域では、昔から旨い酒が造られてきた。地下水の水質がよく、近隣で良い酒米ができる。冬、六甲山から吹く六甲おろしは、ことさら強くなる。地域一帯は大阪湾に面していて船荷をあつかいやすかった。酒を造るにはこれ以上ない場所なのである。

誰もが知っている酒蔵が軒を寄せ合うようにしてたっている。といっても、灘の酒蔵は、軒などどこなのかわからないような近代的な建物だらけである。大メーカーと呼ばれる酒蔵も多く集まっている。
その酒を造っているのも灘である。
朝五時。外はまだ真っ暗な時間に、その酒を造っている酒蔵へ足を運ぶと、やはり灘の酒蔵だけあって見上げるような大きな建物がたっていた。なんとなく、旨い酒というのは、小ロットで小規模でないとダメなような雰囲気があるが、あの旨い酒が造られているのは、この大きな建物のなかなのである。それも「暖気樽」なんて昔ながらの道具を使っている。なんだろう、このちょっとした違和感は。
その酒蔵とは剣菱酒造である。
あの不思議なマークをラベルに配した剣菱を造る酒蔵である。

古いやり方のほうが合理的ならつづけるし、機械に変えてもいいところは機械にやってもらえばいい

「酒造の時間を2時間遅らせて、以前は毎朝3時スタートだったのを5時にしたんです」
社長の白樫政孝さんが、いきなり働き方改革のようなことを言うので驚いた。やっぱり灘の酒蔵だけあってなんでも新しいことにチャレンジする蔵元なのかと思えば、白樫さんはこう続けたのである。
「蔵人から朝のはじまりを2時間遅らせてくれと言われたんですが、最初は、酒造りは朝寒い時間からやらないと旨い酒にならないし、だからこそ3時にはじめる伝統があるんだからダメと突っぱねたんです」
経営者主導の改革の話ではないのだ……すると、蔵人たちは
「これを見てください、と言って、朝の気温のデータを持ってきたんです。そうしたら、何年もの間、朝3時台よりも5時台のほうが気温が低いんですよ。じゃあ、変えましょう、ということで今は5時スタートになりました」というのだ。こんなに大きな蔵なのに、動きが軽い。

「古いやり方のほうが合理的ならつづけるし、機械に変えてもいいところは機械にやってもらえばいいし」
白樫さんは、あっさり言うが、そういうことができないから苦労している日本の現場は数多ある。ほーっと感心しつつ、一通り酒造りを見て回る。

まず驚いたのは想像以上に機械化していないことだった。
たとえば暖気樽。酒造りには、酵母を発酵させた酒母が不可欠だが、その発酵を促すには温める必要がある(逆に発酵を遅らせるために冷やすこともある)。その際、タンクのなかに湯をいれた容器を入れてやる。大小問わずほとんど酒蔵では、現在金属製のものを使っているが、剣菱では未だに木製の桶を使用している。これには理由があって、木製のほうが、適正な温度を長く保てたりする。しかし、木桶を造る職人が激減しているうえに、高価で耐久性も低いのでコストの面から、やむなく金属製を選んでいる蔵がほとんどである。しかし、剣菱ではここに味を守る理由があると考え、木製をずっと使っている。あまつさえ、木工職人不足から樽の利用を断念するようなことにならないように、自前の木工所まで設立してしまった。だから剣菱では、木製の道具を惜しげなく使用している。それもこれも
「プラスチックやら金属にしたらコストが下がるといっても、味が変わったり安全性が下がるなら使わない。合理化ってのはそういうことかなあ、と」
白樫さん、またもあっさり言うが、こちらはため息が出るばかりなのである。もちろん、悲しいため息ではなく、納得し心にしみいっているときに出るソレである。

一方で驚くべき機械化も目の当たりする。さすが、剣菱、さすが、灘、と。
その一つが、酒の原料である酒米を蒸す工程である。甑と呼ばれる巨大な蒸し器でもってトン単位の大量の米を蒸し、蒸しあがったら蔵人たちは、そこにスコップのような道具をつっこんでは、取り出す。酒造り、蔵人の仕事は重労働のオンパレードだが、これは中でもかなりヘビーなものだ。なにしろ釜のなかを覗き込みながらやるような体勢になる。ちょうど、テコがあるのに使わないような、重い荷物をわざわざ腕を伸ばしたまま持ち上げようとするようなやり方なので、腰や肩、体への負担は相当なものだ。

ところが剣菱では、巨大な甑が丸ごと傾く。小さな酒蔵ではまず見られない機械なのだが、このおかげで、
「すこし傾くだけで蔵人が、米を持ち上げる負担がぐっと軽くなるんです」
と白樫さんが説明してくれた。
こうした蔵人の負担の軽減になるようなことは積極的にとりいれているせいか、蔵人は平均年齢がかなり高い(なかには80代の方もいる)にもかかわらず、皆元気で明るい。たとえば、蒸しあがった米を巨大なホースを通じて風圧で移送する装置を設置する際、蔵人が一斉にホースを手分けして持って動かすのだが、その動きなんてまるで群舞である。老人と中年と青年が一緒になって、これといって掛け声もなく、淡々と巨大なホースを乱れることなく正しい位置に設置していくさまは、格好いい、という言葉以外に見つからない。

また、これが実に素敵なのだが、蔵人たちの食事は出身地の馴染み深い味をなるべく食べてもらおうということで、蔵人と同郷の人を呼んで賄いを担当してもらっている。もちろん材料も蔵人の故郷のもの、特に各地で微妙に味わいの異なる醤油なんかも取り寄せて使っている。きりっとした顔と笑顔がうまくまざりあっている蔵。それはもしかすると、剣菱の旨さに似ているのかもしれない。無闇に個性を出そうしている感じはしないのに、口にふくんだ瞬間それとわかり、身体中が旨さ、剣菱の旨さにつつまれ、なんだか楽しくなってくる。しかも、一緒に口にしている食べ物がどれも一層おいしくなる。喜びがます。

くわえて思うのだ。
酒は楽しむためにある。そんなものは苦役から生まれない。笑顔が絶えないところで作られる。
剣菱の酒造りを見ているとそういう基本的なことを思わずにいられない。

ああ、やっぱり、灘は先駆的なのだ。それも良き意味においてのみ。

そういえば、そもそも剣菱はその、銘柄の「けんびし」の由来がはっきりしていない。これほど名の通った、あのマークを見たことのない酒好きなんていないだろうと思われるほどに馴染み深いのに。17世紀半ばに書かれた文献にも、あのマークは言及されていて、その時すでに345年の歴史をかさねているとされている。それほどの伝統ゆえに謎があるのも頷けるが、はっきりしているのは、この蔵が500年以上にわたって、「誰もが知ってる酒」ではなく「誰もが知ってる旨い酒」を造ろうとしてきたことだ。

こういう酒、好きになるのは当然だ。

黒松剣菱
「変わらぬ良いお酒を造り続ける、その為には原料米と手造りの手間を惜しまない」という方針のもと、代々受け継がれてきた味を守るため、米の育成から管理し、今では少なくなった 天然の乳酸菌を使用する昔ながらの製法でじっくりと時間をかけて丁寧に造っております。 http://www.kenbishi.co.jp
使用米
兵庫県産 山田錦、兵庫県産 愛山
精米歩合
70%
容量
1.8L瓶・900ml瓶・180ml瓶
商品情報など灘に今も息づく伝統の技、その男たちの真実に迫る旅。
灘に今も息づく伝統の技、その男たちの真実に迫る旅。灘に今も息づく伝統の技、その男たちの真実に迫る旅。灘に今も息づく伝統の技、その男たちの真実に迫る旅。
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